One man 孤独。無気力。オールドレンズ。
オールドレンズと言えば、レトロな映りという
イメージがありますが、忘れていけないのが所有している意味。
最近印象的な事がありました。
あるカメラマンの方がオールドレンズを
使う理由を話していて
写真が好きな父親が昔使っていて、
それを私が受け継ぎました。
思い出のレンズです。
ずっと使い続けます。という事を言っていました。
それは、確かに性能的には今のレンズには敵わないけど使い続ける大きな理由だと私は思います。
オールドレンズで写真を撮る目的って
結局、自己満足だと思うのです。
例えば、報道のカメラマンがオールドレンズで撮影なんかしていないようにオートフォーカスやズーム性能などを考えてしまうと時代の最前線の現場には適していません。
クセのあるレンズで作品を撮った所で私のような素人の作品は見向きもされないでしょう。
その中でこのレンズを使う意味というのを
常に自問自答しながら、自己表現のツールとして使うというのが、私にとってはオールドレンズなんじゃないのかと思うのです。
そこで私もなぜオールドレンズに惹かれるのかって
自分なりに考えてみました。すると私は無機質なレンズにわずかばかり癒しを求めていることに気づきました。
40歳を目前にして何か最近、自分がここに在らずという感じでふわふわしている感じがあります。
将来を見ると不安がいっぱいでかといって今を大きく変える力もない、昔のように、一人の時間もあまり取れず、何かをしたいけど何をしたらいいのかわからない。
仕事では、雇われの身でして社会人になってもう14年になります。
転職を2回経験し、正しい道だと思い一生懸命がんばってきたつもりであっても給料は増えるどころか、減ってしまい将来に対し、これでいいのかと自問自答を繰り返し続けています。
そして、形の無い責任を背負い次から次にやる事に追われ、やったことも認められずに自分って一体なんなのだろう。
そんな無力感を感じています。
そんな毎日、月に一度か二度の休みの日。
オールドレンズを持ち出し写真を撮ることが数少ないリラックスの時間になっています。
私はたばこは10年ほど昔に禁煙し
酒も、飲むと普段押し殺している感情が吹き出し周りの人に迷惑をかけるので辞めてしまいました。
妻や家族には呆れられていますが、
今はオールドレンズと触れ合う時間がないと自分が自分として保てそうにありません。
一つの対象に向き合い。ピントを合わせてシャッターを切る。そんな行為が、自分自身今を生きていると実感させてくれます。
このレンズも孤独と闘いながら半世紀を生きてきたんだななんて考えて自分自身と照らし合わせながら一人被写体と向き合う時間が好きです。
オールドレンズって金属製で重厚感があって、入手した時は傷だらけでホコリにまみれ、汚く見えても実は丁寧に掃除してやると傷ついていたとしてもそれが味わいとなって出てくるのです。
これは、うまく言えないけれどやっぱり長く生きてきたものが放つ貫禄がそうさせているのだろうと思います。
もうすぐ40歳になる私ですがこだわりが強いのは昔からなのでこのオールドレンズという愉しみをもっと深く掘り下げて行きたいと思っています。
私には子供が3人います。
子宝に恵まれて大変ありがたいです。
子供が何をやろうかなんて、今の時代わからないけれどふとした時に父が使っていたレンズだと興味を持ってくれたらいいななんて下心を持ちながら次の休みはどこに行って、何を撮ろうと考えて目の前の仕事を淡々とこなして行きたいと思っています。
今回はそんなコラムを書いてみました。